noharaの独り言

きっとこのブログのテーマは 旅 とか オーガニック とか たまに時々真面目な話とか。

ケープタウンでの物乞いに対する葛藤

 

途上国に限らず、先進国ですら都心部では必ずってくらい目にする物乞い

日本ではホームレスは見るけど、物乞いはほとんど見たことないなあ。

 

ケープタウンは、大都会!ってわけじゃないからかもしれないけど、そんなに多くは見なかった。

でも、もちろん?声をかけられて。

すごい自分が嫌になったというか、情けなくなったことがあった。

 

ある夕方、夜ご飯を求めてケープタウンの街を歩いてた。宿はダウンタウンの明るい中心部のとこにとっていたし、そこらへんで安くて美味しいとこないかなあ って探してた。

 

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ゲストハウスのバルコニーから撮った景色?

 (街中ではあんま携帯触らないようにしてたから、街の写真がない)

 

 

そしたら、中学生くらいの男の子が寄ってきて、

 

「お金はいらないから食べ物ちょうだい。ここの店に入ってなんか買ってくれるだけでいいから」

 

「何も食べるものない。お腹が空いてる。お金が欲しいんじゃない、何か食べるものが欲しい」

 

って。

 

ずっと、ずっとついてきた。私は無視してた。NOくらいは言ってたかな。

しっかり服を着てるし、なんとなく頭の中に

「物乞いにはお金与えない」

みたいなマインドがあったし、もしここでこの男の子に食べ物を与えてしまったら、みんな私のとこに来てしまうんじゃないかな、とも思った。

 

しっかり服着てるから大丈夫だろうなんて、ただの主観だよね。

 

普段、物乞いにお金をあげない理由は色々あるけど、その一つに、お金やものをあげたところで貧困の根本的な解決に繋がらないし、ビジネスだったりほんとに困ってない場合があるから。がある。

そんなん、誰が本当に困ってるとか、誰もわかんないのにね。

 

本当にずっとついてきて「お願い、お願い」としてきて、ついてくる限りどこのお店にも入れないし、きっと私が東洋人の見た目だから私にお願いしてる っていうのもあると思ったの。それも嫌だった。

だからもうきっぱり

 

「私は何もあげないから。誰かに求めるなら他の人にお願いして」

 

って言ったの。

 

そしたら彼は諦めてどこかにまた歩いてった。

 

で、そのあと、すぐに近くの食堂に入って、ご飯を注文した。

ご飯を目の前にして気づいた。情けなくなった。

私の目の前には、十分な美味しいご飯があって、今から、食べる。

彼はどんな理由かはわからないけど、ご飯を求めてたのに、それを私は賄えるのに、冷たくして与えなかった。

なのに自分ばっか美味しいの食べようとする。当たり前のように。

 

あれ?って、困った。最低じゃん、って。

 

彼に、食べ物を与えても、貧困の根本的な解決にならない、だから、何?

目の前で助けを求めてる人がいるのに、助けられなかった。

「根本的な解決にならないから」なんて、目の前で困ってる人を助けない理由になんかならない。

 

それと同時に、

そうやって生きていくのが彼にとって慣れてしまって当たり前になってしまったら、彼は今後もずっとそうやって生きていくようになるかもしれない

もし本当に困っていなかったら、人を騙すように生きていくかもしれない

 

でも、もしかしたらご飯が食べられないことで、死んでしまうかもしれない

 

何が答えなのかわからないけど、すごく、すごく、今でも、モヤモヤ、葛藤する。

でも、あの時は、ご飯を賄うべきだったと思ってる。

 

だって、極端だけれど、例えば、お医者さんに、

「がんを治してください。治療してください」

ってお願いしてるのに、

「あなたのがんを治療したところで、根本的な医療の改善にはならないので、治療できません。」

って言われてるのと似たようなことじゃない?って思った。

 

今、目の前にいる人を助けられる環境にあるのなら、助けない理由なんてないよね。

 

 

ゲストハウスで出会った南アフリカ人の方と将来の話とかしてて、

 

「目の前の人をたった1人助けるだけでも、立派なことだよ」

 

って言ってくれたけど、本当にそうだよなあ。

 

まず、目の前で困ってる人がいるなら、助けを求めてるなら、助ける。

当たり前のことだよね。言い訳なんかいらないよね。

 

ただね、物乞い、に関しては、ただただ「お金ちょうだい。食べ物ちょうだい。」はあんまりよくないと思う。

もし体が健康で自由なら、自分の得意なこととか得意じゃなくても、歌やダンスや絵とか、そういうのを活用して ストリートパフォーマンス じゃないけど、そういうので お金や食べ物を得る 方が、お互いwin-winのような気がする。

 

応援しよう!って気になるし、ただただ与えられて支援してもらってるわけじゃなくて、きちんとそのパフォーマンスに対する対価になるから。ありがとうの気持ち。

 

そういうアイディアがないのかもしれない。

だから、これからは絵を描いくれたら、お礼にあげるよ、とか、そういうのありかな、なんて。

 

ううん いやでもな、、とか 永遠頭をぐーるぐる。

考えれば考えるほどわかんなくなる。

 

物乞いについてはいろんな議論があると思うし、それぞれ自分の思う、信じる形でいいと思う。難しいね、いや、自分のできることで彼らが笑顔になればそれでいいかもね。

 

答えなんかきっとないんだよなあ。のはを

 

あるのか?あるなら、教えてください